NHKこころの時代 宗教・人生 ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある

先日、偶然にNHKこころの時代の再放送を目にした。テーマはヴィクトール・フランクル ゲストの勝田茅生さんはドイツでフランクルの直弟子に心理療法を学んだセラピストだった。かつて「夜と霧」や「それでも人生にイエスと言う」などのフランクルの著作を読んで、今回の番組でも反復された「どんな人生でも、生きる意味は必ずある」というフランクルのメッセージは、普遍的なものだと思ったが、今回、そのメッセージは不思議なくらい心に刺さらなかった。勝田さんが挙げたフランクルのセラピーの具体例(彼の著書のどれかで読んだ記憶がある)も説得力がなかった。僕の心の中で何かが変わったのだろうか。「生きることに意味がないと苦しむ状況」も「見方を変えることで新たに生きる意味を見出した状況」も、そのときのまわりの状況に依存して変わってしまうものであり(それはゴータマ・ブッダのいう「苦 」Duḥkhaそのものだ)、「生きる意味があるだろうか」とか「生きる意味がないのではないか」とか考えること自体が無意味だというのが、率直な思いだった。そんな考えが思い浮かんだのは、明らかに初期仏教を学び始めた影響だろう。ゴータマ・ブッダならば、こう言うかもしれない。生きる意味を求めること自体が無明からくる執着なのだと。